④ 藤田嗣治と平野政吉との事
「藤田嗣治」氏に関連して④
藤田嗣治と平野政吉との事
父は、戦争画に関連してか、何度か藤田嗣治のアトリエに伺ったようで、いろいろな逸話を私に話してくれました。
ある時は、「絵を描き始めたので見ていたら、右上から横に描き始め左隅まで来ると一段下がって今度は右側へと描き進み、最後の左下隅で書き終え、サインを入れて描き終えた。あれは、こんな事も出来るんだぞと、わざと私に見せたに違いない。」と話してくれました。一寸信じられない話ですが、その時の父は真面目でした。藤田のアトリエに関しては、その技法を盗もうと、多くの人が訪れたという話が残っており、父もその中の一人に数えられていたのかもしれません。ある時、「秋田の平野政吉氏の所に沢山絵があるという話ですが」と、話を向けたら、とぼけて「そうだってね、そしてそれは皆偽物だってね」と答えたという。その時父は、かなり食わせ者のおやじだと思ったそうで、平野氏との間で何かトラブルがあり、喧嘩別れのような形で帰ってきたのでは、と推測していた。
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③ 父「悌三」と藤田嗣治との出会い
「藤田嗣治」氏に関連して③
父「悌三」と藤田嗣治との出会い
父「悌三」が藤田嗣治と何処で懇意になったかは良く分かりません。美術学校の先輩にはなりますが、官展系に進んだ父とは直接の関係は無かったはずなので多分「戦争画制作」がきっかけだったと思います。父は、軍報道部の配属になり「戦争画制作」を描く事により、赤紙による「軍隊」への徴集の免除を望んでいたようです。当時はすでに絵の具等の画材も不足しており絵描きが絵を描けるというだけでも幸せな状況、さらに新婚の父としては何としても死ねないと言う意識も大きかったと思います。
陸軍報道部の派遣で東南アジア各地を何回か取材に行った父はその立場上、かなり早くに日本の敗戦を予感したようで、祖父や子供達をいち早く母の田舎に疎開させました。そこで生まれたのが私と言う事になります。
② 「ふじたつぐじ」だったはず
「藤田嗣治」氏に関連して②
「ふじたつぐじ」だったはず
子供の頃より私は「ふじたつぐじ」と聞いていた。いつ頃からか「つぐはる」となってしまい不満である。本名は正式には「つぐはる」だったのかもしれないが、少なくとも長い間「つぐじ」と呼ばれていた事実は残しておいて欲しいと思う。ちなみに、父は「ふじたのおやじ」という言い方をしていて、名前を呼ぶ時は当然「つぐじ」で、私はそれを聞いて育った。
我が家だけの言い方だったのではと心配になり、妻の母などにも聞いたがやっぱり皆「つぐじ」だと言っていた。近代美術館で開催された『藤田嗣治展』を見に行った時、どこかに「つぐじ」と書かれている事実はないかとサイン等を注意して見たが、見つからなかった。(サインは「FOUJITA」か「嗣治」だった。)
諦めかけていた所、藤田嗣治の制作した日本紹介短編映画の中に「FUJITA TUGUJI」と書かれてあるのを発見した(スペルは確認していないのでTSUだったかもしれないが)。やっぱり「つぐじ」だったのだ。
① 「藤田嗣治」からの手紙
「藤田嗣治」氏に関連して ①
「藤田嗣治」からの手紙
私の一番のお宝が「藤田嗣治」からの手紙です。と言っても60歳もの年の差なのですから私との文通なぞ在る訳ないのですが・・・。(敬称略にて失礼)
実は、終戦直後、藤田嗣治がお米に困っていると聞いた父が、母の実家(宮城県登米町)の方にお米の余裕があるのでどうしましょうかと手紙を送ったときの藤田嗣治からの返信手紙でした。
丁度私が生まれてすぐの時で、父は手紙の文面の中に三男卓美が生まれたと書いたようでした。藤田嗣治からの返信は「お米の都合が付くとの事で非常に嬉しい』という内容ですが、文面の最初に桃の中から男の子が立ち上がった絵と、卓美君誕生芽出度し 芽出度し・・・・と書かれており、文面の最後は『卓美のおやじ殿』となっていました。用紙には「陸軍報道部」とあり、時代背景を感じさせます。この手紙を発見した時、真っ先に「これは私のもの!」と宣言し兄達には何も言わせなかった思い出の物です。
父から聞いたいろいろな「藤田嗣治」の思い出話も、ちゃんと記録に残しておいた方がよいのではと思い、うる覚えですが書いて見る事にします。
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我が家に残っている『金唐革紙』の版木
金唐革紙(金革紙)⑥
我が家に残っている『金唐革紙』用の版木
我が家には今、『金唐革紙用版木』が2枚残っています。正式に言うと、壁紙用のロールでなく座布団用の四角い板の版木で、使われなくなった版木を利用してテーブルに仕立てたものでした。大人の目で見れば、立派な彫刻が入った贅沢なテーブルでしょうが、子供の頃の私にとっては、ごつごつした表面の為紅茶をこぼしたり、字が上手く書けない等の使いづらいやっかいなテーブルでした。中学生の時、伯父の家に遊びに行ったら、同じようなもっと小さいテーブルがあるのを発見しました。父の話では、何でも、大・中・小の三つあったそうで、父が中サイズを、小を伯父が貰って行ったようでした。その小は、私が結婚する時、お祝いに「これが欲しい」と言って貰って来たので、今、手元に2枚という事になる訳です。「大」が何処に行ったかは不明なので、何処かで偶然出会い、3枚揃ったら、一寸したドラマになるのではと思ったりしています。
明治の時代に、何に使ったのだろうと思案していた所、江戸時代の千代紙を収集している千葉惣次氏から「お茶席」用の敷物(座布団)に使ったのではとご教示戴いた。
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服部芳子木工小品と服部まき子銅版画展
展覧会情報⑫
服部芳子 木工小品と
服部まき子 銅版画展
2009年5月28日(木)~6月3日(水)
10時~19時(最終日は17時閉場)
渋谷・東急本店 8階工芸ギャラリー
(URL) http://itowtakumi.com
(URL)http://makikohanga.com