私の小浜島スケッチ帳⑪
小浜島スケッチ⑩
さとうきび工場は刈り取りの季節だけ稼動しているとの事で、この時期は刈り取ったさとうきびを満載したトラックが盛んに出入りし、庭には刈り取ったさとうきびがうず高く積まれていた。建物に近づくと甘い黒砂糖の匂いがプーンと匂い、最初はいい匂いだと思ったのだが、ずっと嗅いでいると一寸しつこく感じるようになってきた。チョコレート工場の横を歩いていた時と同じ状況だった。
刈り取ったさとうきびを搾って煮詰めて固めるだけと言ったら失礼になるが、どの産地(島)も「うちの黒砂糖が一番おいしい」と自慢していた。固める為に「石灰」を入れると言っていたが本当だろうか。黒砂糖をかじった時その石灰はどうなっているのだろうか不思議だ。
島は、色々なところでブルトーザーが原野だった所を掘り起こし、さとうきび畑にしていた。補助金による事業で島にお金が入るというが、今でさえさとうきびの刈り取り労働に苦労しているというのにどうするつもりなのだろうか。
島の中央付近から南東のビルマ崎方向を眺めると正面に水田地帯が広がっており、よく見ると遠くのビルマ崎の方で何やら掘り返している。「ヤマハ」によるリゾート地の建設現場とのことだ。よそ者を入れたがらない排他的と言われていた小浜島だったが、リゾート地受け入れで今後どのように変って行くのだろうか。
①
さとうきび工場(照島糖業) ②びるま崎方向水田畑を望む
小浜島スケッチ帳 10
小浜島スケッチ⑨
沖縄の花といえば、県の花「デイゴ」だが、私にとって沖縄の花はハイビスカス=仏桑花である。私が行った季節がデイゴでなく、ハイビスカスがそこら中で咲いていたからだろうか。大きな花びら・細い花びら・色の違い等、品種の事を詳しく聞こうとしたが、地元の人は皆「それはアカバナーだ」としか言ってくれなかった。赤い花だから「あかばなー」なのだろう。私は、明らかに品種改良された大きな花や上を向いた八重咲きより、垣根に使われている小ぶりで素朴な朱色の少し下を向いた「あかばなー」が好きだ。
ある時、垣根に花びらの開かない品種を発見、図鑑で調べてみたら、姫芙蓉、シガレットハイビスカス・スリーピングハイビスカスと洒落た名で紹介されていた。地元の人に聞いたら「イカズゴケ」とすごい名を言われた。開かないのなら蜜なぞ無いのではと、物好きに分解してみたら沢山の蜜が溜まっていた。嘴の長いハチドリでも来るのだろうか?。ちなみに開かない花びらは半分欠けた細長い形になっていた。内緒で東京に一枝持ち帰り育てたら、クリスマスシーズンのツリーが不要になる位沢山の花を付け大好評だった。
ある時、花びらが細くカノコユリのように反り返った手鞠のような花を発見した、その花は下を向き、めしべが長く真ん中からぶらさがっていた。「風鈴仏桑花」で花が咲く前までは上を向いているのに、咲くと同時に下を向くのがこの種の特徴だった。園芸種の花は上を向いて見栄えが良いので、品種改良でどうやって上を向けたのだろうかと思ったりした。《「ハイビスカス」今帰仁ハイビスカス愛好会発行を読んで少し疑問解決した。》
① 姫芙蓉 ②風鈴仏桑花
小浜島スケッチ帳 9
小浜島スケッチ ⑧
道路に咲いている「雑草」もちょっと楽しい。葉っぱの一部が赤くなり、中央につぶつぶの小さな花が密集しているこの花は明らかに雑草なので、ちょっと一枝失敬しようと物色すると、赤色が薄いとか葉が欠けているとかで、中々いい枝が見つからない(だから「雑草」と云えばそれまでなのだが)。ポインセチアの原種のようなこの花は「ショウジョウソウ」であった。『猩々』=『赤』の草という意味で、ポインセチアの和名を「猩々木(しょうじょうぼく)」と言うから、やはり原種なのだろうか。傷を付けると白い液が出ること、葉の形が似ていること、花の形状などから見ると同じ種に思えるのだが、いったい「木」と「草」の違いはどの位の違いなのだろうか。温暖化のせいか、最近東京の各地で群生していると言う話を聞くが本当だろうか。
南の浜に行く途中の道端であざやかな黄色(朱色もあった)な花を見つけた。幅のある大きな葉が密集している中、茎がすっくと立っている姿は素朴なカンナに見えた。東京でのカンナのイメージは、「ケイトー」と共に真夏の暑苦しい季節の象徴のような気がしていたが、ここのは「はっきりしたスマートなカンナ」であった。図鑑で調べたら、「壇特(だんとく)」と、書いてあった。後日、シーボルトが秋田藩の絵師に描かせたという花の絵の展覧会で似ている花を見つけた。名前をみたら「タントク」となっていた。シーボルトは何処でこの花を見たのだろうか。
① 猩々草 ②壇特の花
小浜島スケッチ帳8
小浜島スケッチ ⑦
母は毎朝「散歩」を日課にしていた。だいたいの1時間、何処かを歩いていた。そして決まってといって良い位に花を摘んできた。たったの一ヶ月だったが結構季節の変化も感じた。ある日、それまで何も無かった道で突然見知らぬ花が咲いていたと、興奮して帰ってきた。はっぱの形、花の付き方からジンジャーの仲間ではと、早速植物図鑑と照合してみたらゲットー(月桃)だった。カメラを取り出して撮ろうとしたらシャッターが下りない。カメラが壊れていたのだ。母は珍しく不機嫌になり、カメラが無いなら代わりに絵で描きなさいと、要求してきた。しかたなく真面目に写生したのがこの「月桃」だ。後で思うに、それまできちんと写生をした事がなかったので、すごく勉強になったと思う。それまで全然描いていなかった訳ではなかったのだが・・・。
雨の日は外に出られず、家の中ではすることがなく、しかたなく?採集した花の絵を描いたりしていた。最初に珍しいと思って写生したのは「コンロンカ(崑崙花)」だった。初めは「ガクアジサイ」ではと思い、「白いブーゲンビリア?」「ハンゲショウ」のように見えたりして珍しく一寸魅力的だった。近頃花屋で似たような花をちょくちょく見かけるので崑崙花では?と覗き込んだ。何という花かと名前を確かめると「ハンカチの花」と書かれていた。
① 月桃の花 ②崑崙花
小浜島スケッチ帳 7
小浜島スケッチ ⑥
そもそもこの『小浜島』に行ったきっかけは、新天地を求めて小浜に行き着き漁師をしていた知り合いの若夫婦から遊びに来ないかとのお誘いを受けた事から始まる。行って見たら「隣に空き家があるから借りて住んだら」と言われ、丁度2月の寒い東京脱出を計画していた母と二人での約1ヵ月の逗留となった。私は8年勤めた会社を退職、「版画家」というヒッピーになった所だったのでこんな事が出来た訳だ。
12~3月の季節はサトウキビの収穫期で、島民は雨の日以外は朝8時から夕方6時まで畑に出かける生活であった。各家が「結い」という幾つかの共同体組織の内の一つに属しており、皆で助け合って刈り入れをするので、結局休み無しの3ヶ月、明日の労働を考えて早寝していた。定年で老後を!と町から島に戻ってきた老夫婦が「きつい」とこぼしていた。という訳で、昼時、村の中を歩いているのは80過ぎのお年寄りか私かニワトリ位だった。
朝食が終って一段落すると、母からきょうはどういう予定か聞かれ、その日の天気と汐の満ち干き具合から、「今日は南の浜に行こう」「今日は北の牧場の方を散策に」などと予定を立て、おむすび・ランチョンミート・ジュース・スケッチブックなどを持って出掛けた。南の浜は引き潮の日は遠浅なので何処までも歩いて行け、水着だとリーフのすぐ傍まで冒険出来た。
母は海岸近くで味噌汁のダシとなるハマグリ(地元ではそう言っていたが、2cm位の二枚貝であった)・アオサ・もずく・貝殻などを採集していた。母は「貝」の収集を趣味にしていたので海岸に居るだけで満足だったようだ。特に西の「細崎」の浜は貝殻が沢山あり、クモガイ・スイジガイ・クロフモドキ・クロチョウガイ・などの大物も時々あったが、そこらにあるツメタガイでさえ名前の頭に「リュウキュウ」と付く内地の物とは違う品種なので興奮していた。(8年後、新婚旅行で久しぶりに訪ねたら、砂浜に貝殻は全然見当たらなかった。2年後にヤマハのリゾート地「はいむるぶし」が出来たので、毎日観光客が2・3個ずつ持ち帰ったとしたら・・・と想像して見た。それにしても、全くというのは一寸ショックだった。)
写真①南の浜の引き潮時。
写真②むずかしい貝殻の写生に挑戦。ギラ(シャコガイ)とクモガイ
私の小浜島スケッチ帳 6
小浜島スケッチ ⑤
集落から西(西表側)の細崎(くまんざき)に行く途中、入り江のある右側の浜に降りたら、長野の「大正池」を連想させる立ち枯れ木が池の中に沢山ある不思議な池を見つけた。嬉しくなってスケッチして見たのだが、良く見たら海側はコンクリートの堤防で仕切られていた。海岸線に堤防を付けた為マングローブの林が海水から寸断されたため枯れたのだった。人が滅多に行かないような所に何故堤防を付けたのか全く理解出来なかった。例の、補助金目当ての公共事業がこんな所まで及んでいたのだろうか。
ヨナラ水道に続く入り江はちょうど引き潮で、マングローブの林の中を自由に歩く事が出来た。ダボハゼ達が見慣れない来訪者にあわてて泥の上を飛び跳ねており、その先の砂地の上を藤色の南京栗程の丸いツブツブの群団が私から逃げるように移動していた。良く見ようと近づいたらその群団はあっという間に一斉にくるっと砂の中に滑り込んでしまった。「ミナミコメツキガニ」だった。
マングローブと言われる「ヒルギ」の木は、干満の潮に対処できるようになっているため絵的に面白い形になっている。雄ヒルギと雌ヒルギがあると聞かされていたが、私には区別出来なかった。細長い実を垂らしていたので、無理矢理実を取って垂直に落としてみたが、そうは上手く砂地に突き刺さらなかった。
写真①立ち枯れのマングローブ林池
写真②引き潮時のマングローブ
《「大好き沖縄」44号掲載より》
小浜島スケッチ帳 5
小浜島スケッチ ④
赤瓦の家の造りは[田]の形に4部屋あり、南側左の部屋に仏壇が、右の部屋に神棚・床の間が飾られていた。行事があるとき用に庭は芝生になっていると教わった。赤瓦は漆喰でがっちり固められているが、台風が来ると雨が隙間から入り込み家中がびしょ濡れになり途方に暮れていたら、次の日一日ですっかり乾いたので驚いたと聞いた。その隣人の話では昨年の台風被害はものすごかったらしく、雨戸が風で吹き飛ばされないように横棒を打ち付けたのだが、それでも雨戸が弓なりになったので吹き飛ばされないようにと内側から皆で両手で押さえた。もうこれまでと隣の新しくコンクリートで作られた駐在所さんの家に逃げ込んだら、駐在所さんは他所に避難した後だったと笑い話のように話してくれた。それで珊瑚の塀はブロック塀に、家はコンクリートで新築したり、家の四隅だけをコンクリートで補強する等の工事が行われていた。実際、駐在所さんのコンクリートの家は快適に見えたが、朝から日が眩しく風の逃げ場がなく蒸し風呂のようになり閉口であった。昔からの漆喰の瓦屋根の家は頑丈そうだが実は隙間だらけの家で、風を逃がす事を考えて造られた理に叶った造りになっているわけだ。
100軒位の村の中を散歩していたら、壊れかけた家と新しく噴き直したような藁葺きの家を発見した。瓦屋根の文化が入る前の建物とお見受けしたが、四部屋はとても無理な小さな造りであった。瓦屋根文化が伝わる以前の貴重な建物に思えた。
写真①スケッチから「あかばなの咲く家」
写真②スケッチから「藁葺きの家」
小浜島スケッチ帳 4
小浜島スケッチ③
集落から北に少し行くと水田があり、その奥の高台にこんもりと盛りあがった「大嶽(岳)」と呼ばれる小山があった。海抜は99,4mと結構あり、登ってみると、頂上は展望台になっていて360度全てが見晴らせた。北側眼下に野生のウサギが沢山いると云われる「嘉屋真島」、遠く霞んで大きな石垣島、東に竹富島、南に黒島、右奥に霞んで新城島。西には細長く半島になっている細崎(くまんざき)、マンタで有名な「よなら水道」、その先に雲を被った大きな西表島等が気持好いように見渡せた。後に航空測量の専門家から聞いた話では、西表に雲がない日は一年に4日位しかないという。あの山の中に西表山猫が住んで居ると思うと一寸魅力的な深山だ。
途中、蛇がいたので怖さ半分捕まえたら、地元の爺さんにしげしげと見つめられ、「ハブではない」とばかにされた。
ハブは売れるので、ハブがいると聞くと皆飛び出して来た。この位の長さだったと手で示すと、ジーっと見ていてから「3500円」といった。どうやらハブの大きさの単位は「円」の様だった。
目の前を、ふわりふわりとスローモーションのように大きなモンシロチョウが飛んで来て目の前の花にとまった。「おおごまだら」だった。少し高い所を高速でオレンジ色の蝶が飛んでいった。「ツマベニチョウ」だった。
写真①・・大嶽を望む
写真②・・大嶽山頂から西方、西表島側を見る(引き潮時)
小浜島スケッチ帳 3
私の小浜スケッチ帳 ②
「この島は水があるので米がとれる。」小浜島の人達は、まず最初に、自分たちの島をこう自慢した。水や電気のあることが当たり前の都会人にとっては驚きの話だった。
村は、島の高台にあり、碁盤の目のように道が通っていた。昔、津波があり海辺の家が流されたので、高台に移ったと聞いたが本当だろうか・・・。村の西側、中程に私達が借りた棚原家があった。
表部屋から庭をながめると赤瓦の家々の奥に黒島らしい島がちょっぴり見えた。
昨年の台風のせいか、ビンロージュの木が痛ましい姿を晒していた。珊瑚の石垣はその時だいぶ崩れたとの事でコンクリートブロックの塀に代えている家が多かった。
残念だと思ったが、この珊瑚は竹富島に引き取られて行ったと聞いて少し安心した。
《「大好き沖縄」41号より再録》
小浜島スケッチ帳 2
私の小浜島スケッチ帳 ①-2
S53,3,15
中央の集落の少しはずれた所にこの御嶽はあった。入り口の鳥居をくぐると木がうっそうと繁り、一寸不気味な雰囲気の中、きれいに掃除された跡のある広場に小さな社があった。その裏に小さな門らしきものがあり、明らかに入ってはいけない聖域のような空間があった。
こちらでは『祭事』は女性が行うと聞いていたので、あそこから先、男は入れないのだろうか・・・。聞いてみたいとは思うのだが、「よそ者が土足で他人の家に入り込むような」ことも出来ず、以後ずっと、私の心の中での「想像」の世界となっている。
《平成20年8月15日発行『大好き沖縄』40号再録》