『点字』以前の「盲目児童用凸文字」

    金唐革紙(金革紙)について③

    『 点字 』以前の『盲目児童用凸文字』       

 

紙の博物館発行『金唐革紙と擬革紙』久米康生著から読む②

 

私の手元に2つの資料が残っています。

一つは『盲学凸文字習書出版版権御願』で、明治9年11月6日に伊藤庄平が申請、11月29日に 免許状下渡候事  内務卿大久保利通  印   

伊藤庄平は、   東京第六大区七小区本所花町拾八番地

                 平民  伊藤庄平  満五十年

と、記載されている。

『盲学凸文字』とは、金唐革の浮き出す技法で、文字を浮き出させ、マージャンの盲パイのようにして文字を読ませようとしたものでした。実際には普及しなかったようですが、「商売」とはならないような善意事をやろうとした曽曽祖父は、どのような立場で、どのような財力があった人だったのでしょうか。

本のP35に記載ある「伊藤荘平」は明治16年に竹屋(山本清蔵)から独立・・・とあります。明治16年なら57歳で独立と言う事になります。独立以前に「個人」で『盲学凸文字』の申請したのでしょうか。

 

もう一つの資料は『竜紋賞牌』というメダルです。

裏面には

      褒章   伊藤荘平  東京本所花町18番地

           明治十年内国勧業博覧会

と彫られています。父の話では、『盲学凸文字』が評価されての賞ではないか。とのことでした。

本によると、「内国勧業博覧会」は、第一回が明10年開催。第二回が明14年。第三回が明23年。第四回が28年。第五回が35年となっています。

(伊藤庄平が本では『荘平』となっていました。間違いかと思いましたが、竜紋賞牌には『荘平』となっています。どちらが正しいのでしょうか。ちなみに私までの系図は

 庄平⇒荘次郎⇒幸太郎⇒悌三⇒卓美  となります。)     

 《写真は、『盲学凸文字習書出版版権御願』の書状と、『竜紋賞牌』》