豪徳寺の『まねき猫』 ⑨ 戦後の変遷
Unicode著者の西澤笛畝氏のコレクションのその後を追ってみたが、コレクション7千点の内半数は岩槻の博物館に寄贈されたが、招き猫などの半数は不明となっている。どこかにあるはずなので、本物に出会いたく、”これが「豪徳寺の招き猫」だと紹介したい。
戦後となると、私も見たことになる“郷土玩具”的で無いものになるのだが、よく比べてみると時代によって結構違う猫となっていた。生産地の業者のこだわり・仕入れ価格などからの品質度合い・職人の技術の差が、等が考えられるが、大雑把に分けると、胸の「招福」文字⇨無。素朴な丸顔⇨伏見のきつね顔⇨常滑顔⇨ふっくら顔。今戸の焼き上げ艶⇨常滑⇨瀬戸。眉毛無し⇨有。首紐・鈴⇨筆書き⇨絵の具艶。尾が左向き⇨右向き⇨寸法号数入り。等など気がついたが、古いものほど個体差があり「手作り感」が感じられた。(ボロ市製は除いた)
豪徳寺の『まねき猫』 ⑧ “郷土玩具”の生産地
昭和39年刊の「日本郷土玩具辞典掲載の「豪徳寺の招き猫」では、“土製の小さくて可愛らしい白の招き猫である。豪徳寺で参詣土産として売られる。”と解説されていた。
豪徳寺の地「世田谷」には“招き猫”を作る産業は無かったので、他所に製造委託していたことになる。詳しい人の解説には「もともと東京今戸で作られましたが、やがて、より大量生産できる岐阜県多治見に移り、今は大産地である愛知県常滑で作られています」と、この招き猫は「今戸」製と紹介されていた。「豪徳寺の参詣土産に売られる」と書かれていたが、どうやらこれは“大正‘以前の古い話のようだ。私が少し調べた範囲では、昭和10年刊「郷土玩具大成」(有坂与太郎著)に陶製・磁器二体の豪徳寺の猫が掲載されていたのが一番古く、その後は”戦後“のようだった。となると、土製の可愛らしいのが、今の所一番古いものとなるようだ。
豪徳寺の『まねき猫』⑦ 郷土玩具“招き猫”
豪徳寺の『まねき猫』 ⑦郷土玩具“招き猫”
私が「郷土玩具」に興味を持ち始めた時、私の中の招き猫に「豪徳寺」は無く、コレクター著による本を見ても、「豪徳寺」は入っていなかった。ある時、「日本郷土玩具辞典」(西澤笛畝著1964刊)の中で“豪徳寺の招福猫”の写真を発見、こんなにいい招き猫の“郷土玩具”が地元にあったという事実に驚き、本物を見てみたい・皆にも知ってもらいたいという願望が生まれた。
豪徳寺に出向き、返納された招き猫の中に無いだろうかと、探していて気がついたことは、返納「招き猫」の中に他所の「招き猫」が沢山混ざっていたことだった。多分、“針供養”のように“ご苦労さん”と納めていったのではと思う。「藤あさや」氏のブログ“招き猫@豪徳寺:わざなう(ココログ→招き猫&豪徳寺)に、その頃の楽しい画像が沢山あるので見ていただきたい。
でも、あそこは、寺務所で購入した猫を「奉納」する場所で、よそ者の返納の場所では無いようだ。すぐに“撤去”され豪徳寺のものだけになってしまっていた。(以前は奉納猫も含め、定期的にざっくり処分?されていたが、最近は寺の方針か、他所に負けまいとどんどん奉納の場所を広げているかのようだ。)
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(藤あさや氏のコメント:オレンジ隈取り+黒地に花模様の前掛けの招き猫はここ豪徳寺でも割と見かけるタイプなのですが、このジャンボサイズは初めて見ました。 2011.02.15 招き猫@豪徳寺 )
(藤あさや氏のコメント:すっきりしていた豪徳寺の招き猫奉納所。)
(藤あさや氏のコメント:釉薬のかけられた古そうな招き猫。形自体は豪徳寺タイプに近い気がするのですが、いつ頃流通していた物なのでしょうか。この黄ばんだ子と同じデザインで釉薬のないタイプが現行招き猫のひとつ前の世代だと思うのですが。)