東北大震災の郷土芸能 陸前高田のけんか七夕

作品紹介(7)

陸前高田の「けんか七夕」

もう30数年前になってしまうが、宮澤賢治研究会の仲間と「種山ヶ原」散策の帰りに陸前高田の『喧嘩七夕』を見に行った。町中の山車は「動く七夕」と言われ、七夕飾りを着けた山車をお囃子のリズムにのって引き回すものだが、川の向こう側の気仙地区は、山車をぶつけ合い、綱引きをし、勝敗をつける勇壮なものと聞いていたからだ。

山車をぶつけ合い綱引きをする形は秋田の「角館祭りの曳山ぶつけ」と同じで迫力があった。中心棒の大木を押しあうだけだと思っていたら、気がついたら周りで見ていた人達が皆、どこからか伸びて来た「綱」にしがみつき綱引きに参加していた。これからもっと盛り上がるという所で山車の上に乗っていた人が落ちて怪我をし、祭りは中止になってしまった。未練のあった私は2~3年後一人で訪ね、暑い夏の昼下がり、誰も居ない松原を歩き、たっぷり山車を追っ掛け廻した思い出が残っている。高い堤防があったという記憶も無かったので津波のニュースでは心配だった。

日本音楽財団が、東日本大震災への寄付金捻出の為、手持ちの『ストラディバリウス』をイギリスでオークションにかけ12億円の値がついたとのニュースを聞いた。『日本財団は収益の全額寄付を受けて復興基金を創設。地震や津波で被害を 受けた岩手県や宮城県の伝統芸能の支援などに充てる。』と書かれていたので、これは「郷土芸能」にではないかと心が弾んだ。詳しく調べてみたら、なんとその中に「陸前高田のけんか七夕へ」の文字を発見した。つい、財団の中に綱引きに参加した人が居たのだろうか?と思ってしまった位だ。洋楽系と思われる団体が、日本の伝統芸能(特に民俗芸能)に理解を示してくれた事は、そんな事は有り得ないと、勝手に思い込んでいた私にとって大きな驚きだった。ストラディバリウスは持っていない私に出来る事は・・・・、せめての版画制作となった。

作品「陸前高田のけんか七夕」

 

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