小浜島スケッチ帳 ⑬ 琉球舞踊の話
小浜島スケッチ帳
琉球舞踊の話
さとうきびの刈り入れで1~3月は忙しく、お祭りや宴会の類はほとんど無かった。それでも時々夕方遠くから三線の音が聞こえてきたので、音を頼りに覗きに行ったりした。縁側で老主人が三線を奏で、傍で老婦人が合いの手を入れ聴いているという姿を目撃したり、「結い」の集まりなのか20人位での宴会で踊ったりしていた。踊はお酒が入っての即興の踊「カチャーシー」で、赤いタオルを持った踊り手が、次に指名したい人の首にその手拭を巻き付けていた。(本式の踊を見たいと思ったが残念な事にそれは時期的に無理であったようだ。)
そもそも、私が沖縄に惹かれた第一の理由は、昭和30年ごろ早稲田大学大隈講堂で見た「琉球舞踊」に魅せられてからであった。石垣出身の大浜信泉教授尽力による講和条約締結を記念しての在京沖縄県人達の催と聞いていた。一曲踊るとアンコールアンコールで会場中が盛り上がっていて、沖縄以外のよそ者は私達だけ位に思えた。子供心に一番印象に残っていたのは「四ツ竹踊り」等で被る大きな花笠だった。晴れて地元で見たい聴きたいと言う想いが三線の調べに「覗きに行く」という奇行となった訳だ。
八重山の民謡を歌う順番?は、「鷲の羽節」ではじまり,「トバラーマ」でフィニッシュと言われる。「トバラーマ」は、男性が渋い声で歌い女性の哀調を帯びた甲高い帯びた合いの手が入るとたまらない。あと一つと言われると、安里屋ユンタの元歌の「安里屋節」で、地元の「小浜節」は、難しすぎて一寸苦手だ。
雨の日に外に出られず、琉球舞踊の本の写真から踊りの絵を描いてみたりした。そのうちに版画の作品に、その時はもっと魅力的な沖縄美人にと思っている。
写真・・・「かせかけ」古典女踊り
版画・・・「四ツ竹踊りの少女」