宮澤賢治 (に関連して
賢治との出会い
小学生の頃、兄の本箱にあった賢治の伝記本を読んだのがきっかけだった。その本にあった「虔十公園林」の話が好きで、私の唯一の愛読書になった。三分も椅子に座っていられなかった少年が、この本だけは別だった。そして、決まってある所に来ると何故か涙が止まらなかった。アルバイトで大金が入った時、ボンと全集を買った位だったのだから、やっぱり好きだったのだろう。でも、恥ずかしい事にちゃんと読んだ記憶はなかった。
後で分かった事だが、私が通った梅ヶ丘幼稚園は、園長さんが「賢治」を意識して作った幼稚園だったという。入口から斜面を登ってゆくと、三角屋根のような、洋風の洒落た建物、バルコニーが大きくついており、そう思えば、不思議な空間だった気がしていて楽しい思い出でいっぱいだった。(写真参照 昭和26年?在りし日の梅ヶ丘幼稚園)
社会人になり、営業マンとして毎日が追われる日々を過ごしていた23歳の時、新聞の片隅に「宮澤賢治の教え子」の話が聞ける集まりを見つけ、参加してみた。それが宮澤賢治研究会との出会いで、「かるたの制作」に至った迄は「日本経済新聞社の文化欄」に掲載させていただいた文章で紹介したい。(次回)