東京江戸百景 紹介(10) 佃の盆踊り
東京江戸百景(10) 『 佃の盆踊り 』
摂津の国佃村の漁夫33人が、家康について江戸に移り住み、隅田川の河口の砂州を埋め立て築島したのが「佃島」で、幕府献上の白魚の捕獲が許されていたと云う。そこで踊られてきたのがこの佃の盆踊りで、“風俗を乱す”との幕府の禁止令の中、唯一許されていたと云われる。一般的な明るい賑やかな盆踊りと違って、死者を迎える盆に念仏を唱えながら踊るという古い形の盆踊りだと云われる。保存会の方の話では、「上流から流れ着いたドザエモンを丁重に供養した」との事。父の話の、「朝、庭岸に流れ着いたドザエモンを、なぬ阿弥陀仏と唱えながら棒で沖に流した。」とは大違いで、恥ずかしい思いをした。(弁解では、警察に通報すると、大騒ぎになり、一日何も出来なくなる。と云う話ですが)