勝平得之氏との出会い

「勝平得之」氏との出会い

大きな影響を得た作家の二人目は、勝平得之氏です。

我が家には父が持っていたものと思われる「増補東北の民俗(昭和16年日本旅行協会刊)」と云う本がありました。雑学が豊富だった父の原点にはこれらの“民俗学”があったのでしょうか。この本の挿絵が「勝平得之」でめずらしく父の評価が高かったのが印象的でした。だから私もこういう版画を作りたいと思ったのかもしれません。

昭和43年に「勝平得之木版画集」(河北新報社刊)の発刊を知り購入、多くの秋田の風俗作品に触れ羨ましく思い欲しくなり会社の休日を使って秋田市鉄砲町の実家を訪問しました。既に得之氏は亡くなられていたと思っていましたが、昭和46年死去とありますので、私が秋田に伺った時は入院中だったのかそれとも昭和46年以降だったのでしょうか。

印刷工場(ば)のような建物の横から入り二階に上がると版画の作品が沢山飾って(販売用の展示の様な)ありました。御子息の新一氏に応対して頂き、欲しい作品を選んでいたら、奥様が乱入?金持ちに思われたのか高い価格を提示されてしまいました。

やっと小さな作品「わら打」を購入した所、新一氏は、母が居ない時にこっそりと 「ふけの湯の絵葉書セット」等をサービスしてくれました。

DSCN5600後に私が日版会(日本版画会)に入会。事務局の手伝いをしていた時、古い第一回展の図録の中に「勝平得之」を発見、運命を感じました。記念展で、物故作家の作品を展示することになった時、私の宝「わら打」を展示したのは云うまでもありません。また、馬淵聖先生から、版画協会から勝平得之の遺族の住所を知らないかとの問い合わせがあったけど知らないか?と云われ、鉄砲町の住所を教えた事がありました。やはり記念展の為に調べていた様でした。

昨年(平成27年)の小田急個展の時、談笑していた傍から「勝平得之」という単語が聞こえてきました。「え!」と云う感じで聞いてみた所、「勝平得之の版画作品が好きだ」というご婦人でした。私の作品を見てこの名前が出て来たのなら嬉しい限りですが。それから1か月過ぎたころ、早稲田のカルチャー講座で、やはり勝平得之が好きだというご婦人の受講者が現れ同じ人では?と耳を疑った位でした。隣の受講生の男性が何の話で盛り上がっているのか分からないと云う風に見ていましたが、次回の授業の時に大きな額を持って現れ「家に勝平得之の版画があったから持って来た」と云うのです。聞けば「父が好きでずっと飾ってあったのだがこれが勝平得之とは知らなかった」との事です。心のこもった良い作品を作っていれば誰かが見ていて解ってくれるのだと心に刻んだ次第です。DSCN5598

 

One reply


  1. 伊藤卓美さま
    小田急では久しぶりにお会いできてうれしかったのですが、今日、大宮の佐藤さんから伊藤さんが勝平さんの版画のファンだということを教えていただきました。驚いて、びっくりして、うれしかったです。
    私も昭和48年頃から勝平さんの版画のファンで収集をしてきたものです。周りに勝平版画を好きだという方がいなくて、だれかいないかなあ、そんなに人気がないのかな、そう思っていました。伊藤さんが好きだということを知り、うれしさ百倍です。あの版画の良さをもっと広めたいと思っています。
    いつかお会いしたときにでも、勝平版画のことでお話がしたいものです。その節はよろしくお願いいたします。