③ 父「悌三」と藤田嗣治との出会い

「藤田嗣治」氏に関連して③

父「悌三」と藤田嗣治との出会い

父「悌三」が藤田嗣治と何処で懇意になったかは良く分かりません。美術学校の先輩にはなりますが、官展系に進んだ父とは直接の関係は無かったはずなので多分「戦争画制作」がきっかけだったと思います。父は、軍報道部の配属になり「戦争画制作」を描く事により、赤紙による「軍隊」への徴集の免除を望んでいたようです。当時はすでに絵の具等の画材も不足しており絵描きが絵を描けるというだけでも幸せな状況、さらに新婚の父としては何としても死ねないと言う意識も大きかったと思います。

陸軍報道部の派遣で東南アジア各地を何回か取材に行った父はその立場上、かなり早くに日本の敗戦を予感したようで、祖父や子供達をいち早く母の田舎に疎開させました。そこで生まれたのが私と言う事になります。