さくら さくら 作品紹介31
(16) さくらさくら 【近代筝曲】(21) 明治21年 作詩 不詳 作曲 不詳
さくらさくら やよいの空は(見わたす限り
明治21年発行の東京音楽学校の「筝曲集」に記載があり、子供用の箏の手ほどき曲として創られたものと云われている。日本の代表的な歌として国際的な場面で歌われることも多い日本的な曲だ。
富士と桜は、絵の定番で、多くの作家が色々な表現を見せてくれている。と云う事は安易に作ると皆「真似」と思われてしまう。裏返せば、簡単に「真似」されない技法での“表現”という魅力もある。
私は、桜はやっぱり「山桜」だと思っている。春先、岩手の山奥で木々が芽吹き、一寸咲き終わりの辛夷がちらちら見える中、薄桃色も山桜の花がちらちら・・・・、たまらない。吉野の山桜は、桜の数が半端で無い。欲張りな私は、誰もいない所で眺めたいと思う。小田急線の「鶴川」駅前には、山桜のような一寸濃い目の桜が沢山咲いていた。駅の拡張かで、すべて切り倒されてしまった。今でも小田急電鉄には憤慨している。新幹線の無かったころ、東北本線で、仙台の少し前、電車のスピードが遅くなる所があった。川沿いの桜を見て貰いたいと、運転手が気を利かしての計らいだった。今、新幹線はそこを通らない。弘前城の桜は旅人として通りがかった思い出がある。朝、黒石の旅館で、余ったご飯を失敬しておにぎりを調達した。正解だった。敷物を広げて座っただけで、ただ通りすぎるよそ者は、地元の花見客達に暖かく迎えられおかずはいらなかった。母は、「伊那高遠」の桜を見てみたいと言っていた。そのうちにそのうちにと思っているうちに、ついに夢叶わなかった。未だに悔いが残っている。・・・・まだまだ桜には沢山の思い出がある。春は「桜の花見」の声に反発していたが、素直に受け止めたいと思うようになった。丸くなったのか歳をとったからなのだろうか。