東京江戸百景 (5) 「ボロ市」の紹介

東京江戸百景(5)  『 ボロ市 』

世田谷のボロ市の起源は古く、安土桃山時代の楽市楽座と云われている。当時は世田谷城主吉良氏の城下で栄えていたが、小田原の北條氏が敗れ、徳川の世になり、東海道が整備され、小田原と江戸の交通の要地だった世田谷は貧乏な農村となって行った。賑わった市も農家用の道具や古着等を扱う歳の市となり、「ボロ市」と揶揄されて呼ばれたようだ。私の子供の頃(ひと昔)は、文字通りの古着・古道具と、正月用品・植木に、見世物小屋等も出ていたが、今は古着がアンティークとなって結構良い値が付いていたり、来る人も遠方からの観光客が主流で、独自性が無くなってしまったようだ。20年以上の前か、地元の反対で中止となった事があった。ヤクザの利権の問題や、裏路地での放尿等で地元の商店街が反旗をあげた。やっぱり残したいという多くの声から、今は管理を地元商店会と警察・消防団・小学校のPTA等が中心となって開催している。私は、毎年コレクションの“古い独楽”を探しに顔を出している。DSCN5650