小浜島スケッチ帳 7

小浜島スケッチ ⑥

そもそもこの『小浜島』に行ったきっかけは、新天地を求めて小浜に行き着き漁師をしていた知り合いの若夫婦から遊びに来ないかとのお誘いを受けた事から始まる。行って見たら「隣に空き家があるから借りて住んだら」と言われ、丁度2月の寒い東京脱出を計画していた母と二人での約1ヵ月の逗留となった。私は8年勤めた会社を退職、「版画家」というヒッピーになった所だったのでこんな事が出来た訳だ。

12~3月の季節はサトウキビの収穫期で、島民は雨の日以外は朝8時から夕方6時まで畑に出かける生活であった。各家が「結い」という幾つかの共同体組織の内の一つに属しており、皆で助け合って刈り入れをするので、結局休み無しの3ヶ月、明日の労働を考えて早寝していた。定年で老後を!と町から島に戻ってきた老夫婦が「きつい」とこぼしていた。という訳で、昼時、村の中を歩いているのは80過ぎのお年寄りか私かニワトリ位だった。

朝食が終って一段落すると、母からきょうはどういう予定か聞かれ、その日の天気と汐の満ち干き具合から、「今日は南の浜に行こう」「今日は北の牧場の方を散策に」などと予定を立て、おむすび・ランチョンミート・ジュース・スケッチブックなどを持って出掛けた。南の浜は引き潮の日は遠浅なので何処までも歩いて行け、水着だとリーフのすぐ傍まで冒険出来た。

母は海岸近くで味噌汁のダシとなるハマグリ(地元ではそう言っていたが、2cm位の二枚貝であった)・アオサ・もずく・貝殻などを採集していた。母は「貝」の収集を趣味にしていたので海岸に居るだけで満足だったようだ。特に西の「細崎」の浜は貝殻が沢山あり、クモガイ・スイジガイ・クロフモドキ・クロチョウガイ・などの大物も時々あったが、そこらにあるツメタガイでさえ名前の頭に「リュウキュウ」と付く内地の物とは違う品種なので興奮していた。(8年後、新婚旅行で久しぶりに訪ねたら、砂浜に貝殻は全然見当たらなかった。2年後にヤマハのリゾート地「はいむるぶし」が出来たので、毎日観光客が2・3個ずつ持ち帰ったとしたら・・・と想像して見た。それにしても、全くというのは一寸ショックだった。)

写真①南の浜の引き潮時。

写真②むずかしい貝殻の写生に挑戦。ギラ(シャコガイ)とクモガイ