豪徳寺の『まねき猫』  ② 由来

豪徳寺の『まねき猫』  ② 由来

招き猫の由来を調べてみると諸説あるようで、広島県福山市の「日本郷土玩具博物館」がまとめたのがあったので簡略して紹介する。

  • 江戸城を築いた太田道灌が黒猫に自性院へ導かれ救われた。(1400年半ば)
  • 彦根藩井伊直孝が鷹狩りの折、猫により豪徳寺に招かれ雷からの難を逃れた。(1630年頃)
  • 江戸吉原の遊女が飼い猫に命を救われ西方寺に猫塚を作って供養。(1690年頃)
  • 江戸小石川の豪商の娘の冥福を祈って自性院に地蔵尊を奉納。
  • 江戸両国の2軒の遊女屋が金・銀の猫の置物を飾って繁盛した。(1780年頃)
  • 江戸‘浅草花川戸の老婆が夢での飼い猫のお告げで猫の人形を売り出し繁盛した。(1800年半ば)

これらの多くは猫が飼い主に恩返しをするという「猫の報恩譚」が元にあり、中国の「猫が顔を洗うと客がくる」という故事や、猫が持つ“神秘な霊力などが合わさって江戸中期以降に「土製の招き猫」が作られたのではとしている。各地に広がったのを調べると、伏見人形系統が明治、他の産地は大半が大正から昭和のものが現存していることから、遊郭など一部の縁起物だった招き猫が、広く”招福開運“として一般家庭や商店の縁起物となったのは明治以降のようである。

写真は、かつての「豪徳寺」で奉納されていた各地の色々な招き猫(今は、よそ者は排除されている)